レースとライフ 〜運命〜

自分がなんで生きてるんだろう。。。
それを考えるとき、いつもたどり着く答えが”運命”
運命とは何か? それを理論化、体系化したい。。。
それが、心のそこからわいてくる自分の本当の欲望のような気が
いつもしている。。。
☆ ☆ ☆ ☆
この前、シュワンツのことを思い出したので
久々に昔の本

選ばれしGPライダー―世界チャンピオンの告白

選ばれしGPライダー―世界チャンピオンの告白

を読み返してみて、またまた運命のことをいろいろ考えさせられた。
この本で一番最初に出てきたウェイン・レイニー
ぼくが大好きなシュワンツの永遠のライバルだ。
ライバルだから単純に好きでは無かったけど尊敬できる存在だった。
93年のミザノ。
タイトル争いでトップを走りながら、このレースでもライバルに差をつけ
トップを走るレイニーが突如クラッシュ転倒した。
転倒自体はそんなに特別なものではなかったけれど
彼はそこで下半身不随になってしまった。
あるとき、彼の育ての親でありチーム監督でもあった
ケニー・ロバーツがこんなことを言っていた。
「あの事故はレースに関係することでは無く、ライフ(人生)に関係することだ。
だから、このことはライフの観点から見なくてはいけない。
どんなに一生懸命がんばってもライフを変えることはできない。
これは神がウェインに与えたライフなんだ」
ウェイン・レイニーやキングと呼ばれたケニー・ロバーツが口にするこの
ライフという言葉はすごく重い気がする。
レイニーも言っていた。
「レースでは、普通の人が一生かけて経験するよりも多くのリスクを
経験する。。。それがレースというものなんだ。。。」
そんな言葉を聴くまで、レースがそこまで重いものなんて、あまり考えなかった。
確かにとても危険なスポーツでケガは当たり前だし、大きな事故を起こせば
死んでしまうこともある。。。実際、死んでしまう人もたくさんいるわけだから。。
でも、そんなことは、我々が”交通事故”を考える程度。。。
交通事故で死ぬことなんて普段は考えずにいる。。程度にしか思っていなかった。
でも彼らにはそうではなかった。。。いつ死んでもおかしくない。。
という事実。 死と隣り合わせの事実を受け止めながら戦っていたんだ。
そう思うと、ドラマ以上にドラマチックな人間模様や結末があるのは
当然のように思えてくる。
でもレースと人生をそこまで重ねて考えることはあまり無いんではないだろうか?
あのレースの中に、生きていくための競争や、会社対会社の戦いなど
いろんなドラマのエッセンスが凝縮されている。。。
ぼくがコンサルティング業務の中でレースのことを例に出すのは
それが理由だ。
でも、その本質、学ぶべきものはManagementだけでなく、本当は人生そのものだ。
そしてロバーツが言った、ライフ。。。運命。
これを自分の人生においてどう考えるか。。。だ。
変えられないから、努力しなくていいのか?
努力しても努力しなくても結果が同じなのか?
そもそも結果とは何なのか?
努力で変わる目に見えない結果が他にあるのではないのか?
☆ ☆ ☆ ☆
とにかくビジュアル的に示してくれるレース。。。こんなに
わかりやすく人生のお手本になるものは無い。
よくモータースポーツは不公平なスポーツだ
という人がいる。
はじめる時点でマシンの性能差というものが圧倒的に違う場合がある。
どんな実力があってもマシンのために実力を発揮できない。。
でも、これこそ、人生のお手本。
そもそも人生そのものが公平とは言えない。
物心付いたときに初めてぶつかるのは、生い立ちによる不公平だ。
だからレースには人生に通じるモノがある。
そのレースで偉大な功績をあげた人物が口にする
ライフ、人生、運命。。
そのことばの裏に、僕達の生きていく上でのたくさんのヒントが
隠されている気がする