法で愛は裁けない

確かに。。。
一番響いたのはこのコトバか。。。


そもそも
法などでは何も裁けない気がする。
閻魔大王がいるとしたら
何で裁くんだろうか。。。?
道徳? 倫理?


法なんて
無くて済むなら無いほうがいいし
本来、あるべきでない。
機械的に裁けることなんて
そうそうあるものではない
法の解釈なんていくらでもできるし
時代が変われば通用しないものも
いくらでもある


なにより
”法”が存在することによって
思考停止になることの方が
疎恐ろしい。。。
「○○○は法で禁じられているからやってはいけない!」
と決め付け、
「なんで?」
と聞いたら、
「法で決まっているから」以上!
ってな感じで。


最たる例が校則だ。
「校則だから。。。」
教師はこの一点張り。
そもそも、教育の現場であるからこそ
なぜ、そのような校則が存在し
守らねばならないのか?
を生徒交えて教師も泥まみれになって
議論する。。。
それこそが教育。。。
って思うのだけれど。。。
実際は、そうでは無く
単に決まってしまった校則を
守ること守らせることが
目的になってしまっている。。。。


だから
こんな世の中になってしまった。
「路上でタバコを吸ってはいけない」
「ガムを地面に吐いてはいけない」
こんなことが、条例や法律で決まってしまっていったら
この先どうなってしまうんだろう。。。
むかし
松本零士の第三仮面帝国っていう短編漫画があった。
遠い未来の地球で、地球連邦として
地球全体がひとつの共同体として成立している時代。
感情を顔に出したり表現してはいけない
という法律。
たぶん、電車の中で大声で笑ったり、
おしゃべりするのが”大迷惑”っていう状態が
何世紀も積み重なって、やがて、感情を表に出すこと自体
法で禁じざるを得なくなったんだと思う。。。
今の世の流れを見てみると、空想の話だけで済むものでも
なさそう。。。
その世界では、セッ○スの最中も、感じたり声出したり
してはいけないのである。。。


個人的には
”法”の作ると
一方で、”道徳”や”倫理”が失われる
と思っている。
”法”は、そのものの存在を考えさせる思考を失わせ
”守られせる”という目的しか残さない。少々極端だけど。
法廷での作業は、
起きてしまった事象の
その本質を議論するのでは無く
”たまたま”作り上げた法の中に
その事象を落とし込んで
”裁き”を定量化する作業でしかない。。。
本来、炙り出すべき、本質には
極力触れず、イチかゼロか、シロかクロか
どちらかに、強引に落とし込む。。。


実際は
法廷の世界だけでなく
世の中で起きている
実際に自分達が行っている行動も
ほとんどが、そんなモノに成り下がってる気がする。
自分が必死に求めてるモノや
失いたくないと思ってすがっているモノ。。。
それは、”道徳”や”倫理”といった高次のモノではなく
”法”レベルのモノなのかも。。。

トヨエツが言い放った
「法で愛は裁けない!」
という叫びの裏に
間違った価値観で生きている現代社会の人々への
哀れみの叫びを聞きました。。。


哀れみ。。。哀歌。。。エレジー
平堅へのエンディングのつながりが絶妙で
心地よかったです。
本編より奥が深いっす エレジー


ところで
どんな濡れ場よりも
長谷京の衣装の方に
ドキドキしました
胸の谷間に視線が行きました♪
新たなファンを獲得したんでねーの?
(おいらは違いますが。。。念のため。。。)