ケビン・シュワンツ

shinjio2006-05-12

選ばれしGPライダー―世界チャンピオンの告白

選ばれしGPライダー―世界チャンピオンの告白

ここのところ。ずっと仕事も忙しく寝ても起きてもTVを見ていても
アタマの中はほとんど仕事のことばかり。。。
好きなサッカー日本代表の試合を見ていても、それほどワクワクすることもない。。。
昔は、どんなことにワクワクしてたのかなぁ〜と振り返ると
ぼくの場合は、これ、Kevin Shwantz ケビン・シュワンツかな。。
1980〜90年代に活躍したGPレーサー。
バイクレースは昔から普通に見ていたけれど彼の登場でレースに対する見方が変わった。。
っていうか、レースってこういうものなんだということを改めて教えてくれた。
とにかく単純に”そのレースで最速を目指す”そんな野性味あふれる姿に
一喜一憂して心の底からワクワクした。
当時のShwantzが戦っていたのはGP最高峰のGP500というクラス。現在では環境対策など
諸々の関係から無くなってしまった幻のクラス。
何せ、100kgそこそこの車体に2サイクル500ccで200馬力以上を出すエンジンが乗っている。
普通の人がアクセルまわしてクラッチつないだら、その瞬間ウィリーで一回転、後頭部打って
あの世行きかも。。。
試乗した人いわく、加速がどうのという次元では無く、ワープ?? これしか表現不能。。
とのこと。
ミレニアム・ファルコンがドヒューーーンと行く感じ??
バリバリ伝説のKoma Gunもこのモンスター・マシンに乗って最後はGPチャンプになった。
まあ、ともあれ、GP500のレーサー達は、こんなモンスターマシンにのって
いろんなドラマを残してくれてるわけだった。。。
で、Shwants。
彼は1988年からGP500にフル参戦。長年、世界最速の男と呼ばれながら無冠の帝王と
呼ばれ続けた。
その理由は。。。。
参戦当初は、とにかく、優勝か転倒か?いうようなレース内容。15戦中6戦優勝しておきながら
5戦を転倒リタイヤみたいな。。。
とにかく、着実にポイントを積み重ねてタイトルを獲得するというスタイルからは
縁遠かった。。。
ステディーの見本であるエディー・ローソンなどと比べるとエディーはあんなに遅いのに
なんでチャンピオンになっちゃうの?というイメージさせもってしまう。
まあ、とにかく、そんなShwantsに惚れちゃった訳です。
彼のレース・スタイルは、シューマッハのようにPPとってロケット・スタートで
トップ・キープして優勝っていうスタイルでは無い。
最速男だからPPは取るけれど、スタートが抜群な訳ではない。
一方、永遠のライバル(本当に永遠になってしまったけれど。。。)ウェイン・レイニー
PP取れ無くても常に2位につけロケットスタートかます
となるとレース展開は、逃げるレイニー、追うシュワンツというお決まり且つ最高の構図に
なる。
で、シュワンツの武器は”鬼のような”を通り越した”悪魔のようなレイト・ブレーキング”
これで最終ラップ、最終シケインであるはずの無いインの隙間に飛び込み
肉弾戦をかませて追い抜きGooool。
ワクワクしないわけがない。
いくつかの残っている記録を振り返ると

         2位ライダー タイム差
第1戦日本GP    ドゥーハン  0.204秒
第6戦ドイツGP   レイニー   0.016秒
第9戦オランダGP  レイニー   0.250秒
第11戦イギリスGP レイニー   0.098秒
第14戦ルマンGP  ドゥーハン  0.148秒

こんな感じ。。。
とにかく、今日はなにが起こるんだ?? と常にワクワクしながらレース日を
待ち続けたモノだった
個人的に印象に一番残ってる悪魔のブレーキングは
91年ドイツ・ホッケンハイムでの最終ラップ、レイニーと
抜きつ抜かれつの展開を繰り返しながら、最後にレイニーに抜かれて
こりゃダメだと思った最後に、
後輪をロックさせホッピング&左右に後輪を揺さぶりながらレイニーのインに
突き刺さり、
そのまま抜いてチャッカーを浴びてしまった。
その瞬間、スモークがかかってるので表情は見えないが
レイニーの目が点になっていたのが、彼のそのバイクの挙動からわかるほどだった。
120kgそこそこで200馬力以上のエンジンを乗せたバイクでなんでそんな芸当が出来るの?
自分には絶対ムリ。。そんな思いが子供ような憧れ感と尊敬の念、ワクワク感を
与え続けてくれた。

ところで、永遠のライバル、レイニーとの関係。
彼とは米国の国内レースAMA時代からの宿敵関係。GP500への昇格後も、その宿敵関係を
続けてきた。
基本的には犬猿の仲?で、ほとんど口をきくことも無かった。
しかし、同郷米国出身で、そんなミラクルな世界でナンバーワンを争う仲、
いつしか、お互いを認め合うようになり、オフに食事をしたりゴルフを楽しんだり
するようになっていった。
しかし、1993年、そのレイニーがレース中の事故で大怪我を負い選手生命を絶たれて
引退。。。皮肉にもライバルを失ったシュワンツがその年、初のタイトルを獲得します。
そのときシュワンツが放ったことば
「彼の怪我が治るならチャンピオンなんかいらない。」
は一生忘れられないセリフとなりました。
翌年、彼の代名詞であるゼッケン34を小さくあしらったゼッケン1にてレースに参戦。
でも、シュワンツをここまで駆り立てていたのはレイニーの存在だった。
そうだよね。。だってAMA時代からずっとそうだったんだから。。。
結局、彼のモチベーションは戻ることなく、タイトル防衛もすること無く
1995年GP500から去っていった。
シュワンツとともに、ぼくのレースへの興味も薄れていった。
それほどまでにシュワンツは眩しく憧れの存在だった。
そして彼のゼッケン34はGPでの永久欠番となった。
シュワンツ。。。夢を本当にありがとう!